蔀:これは最初に取り上げる際の候補作の一つでした。ただ、自己を三つの個性に分けるというのがわかりにくいかな、という気はしていたのですが、ちゃんと読み聞かせればカバーできると…。
――意外と構造的にはわかりにくい作品ですよね。
蔀:そうですね。
――遠近法というか、望遠鏡で覗いた映像と見ている自分を並べるのは牧野が結構やっていて、この辺は無声映画の影響がありますよ。江戸川乱歩の「押絵と旅する男」も望遠鏡の仕掛けをもった奇妙な作品ですが、あれなんかも浅草十二階から望遠鏡を覗いたことがあるし、読者もそうだからこそ読める、そういう時代性がある。ただ牧野の場合、そういう視覚性よりも意識のジャンプを仕掛けていると思えてならない。自分の意識がぎゃあぎゃあ騒いでいるのを見ている一方で、こちらでも騒いでいる、とか。「吊籠と月光と」の音楽的ともいえる情景は「ゼーロン」に一番近いかも知れません。出てくる名前とか、装置とか、見慣れぬものがいわば音声の行列として繰り出されて来るのが楽しいのではないか。「ゼーロン」では、歌でもいろんなパターンが出てきますね。
蔀:多分冗談で言っているのか、そういうものがあるのか、聞いたことがあるのか…
――わからないけれど、歌の引用みたいなものが結構出てくる。それにしても「ゼーロン」は大変そうですね。あまり句読点がないし、文は切れているけれども、何処で息をつくかというのが見えにくいし、難しい作品だと思います。
蔀:言葉で、というか、文章をこのまま読まれてもわからないですよね。
――「ゼーロン」って代表作といわれているけれど、何でだろうねえ?と思うことがある。それを今回、答を出さなければいけない。しかしこの作品を読むとやっぱり引き込まれる。マキノの速度や危機感とか。それが一番出ている作品がこれなんです。一人で戦争状態のなかを半分武装して、一生懸命逃げているところがありますよね。新宿から電車に乗るのに、「山刀」――でも、ただの登山ナイフ(笑)――を持って…。「ゼーロン」(第五回)がますます楽しみになりました。ありがとうございました。
-了-
(2004年10月7日、調布コネクトにて。聞き手:熊谷真理人、収録/校正/撮影:津久井隆)
(大好評だった第五回「ゼーロン」講演) 2004年11月6日
|