蔀:「月あかり」のあと何をやるか。当然「ゼーロン」とかもあったんですが、その前にというか、いきなり横綱にぶつかるのはどうか、というか。この作品はゼーロンが出てくるんですよね。
――後日談のようにね。ストーリー性も高いですし、盛り上げどころもある。末尾の放尿の場面とか。牧野的ストーリーテリングの典型的な作品かなあ。ただ、最後のシーン、ゼーロンとむつみ合うところ、あれは何でああいうのを書いたのかなあ(笑)。あれだけは割とまともなラブストーリーになっているように見えるんですよね。
蔀:別なように書いても別な印象があって好いんですよね、というか。
――牧野の場合作品自体があるベクトルを持っていて、その作品一つで何らかの意味内容――事件なら事件とか、教訓なら教訓、一人の人間の人生とか--そういうのを描くという目的意識は欠如しているような気がします。何処で、どう終わっても、作品の性質は変わらない。成分自体があって形態はたまたまそうなっているのではないかと。但し、最後の1~2行は相当力を入れて決めているなという作品は多いですね。「ゼーロン」では特にそういうことが問題になってきますね。「夜見の巻」では、事件としてしっかり書かれているし、ストーリーとしてはわかりやすい。「月あかり」も作者が追い込まれる場所が明示されているし。その点で…
蔀:「心象風景」(第三回。未完作品)ですよね。
――「ちゃんと終わってるじゃないですか」っていう新井先生か小森陽一氏の感想、あれは面白かったですね。
蔀:あれは、客が終わったのかどうかっていう顔をするのが楽しみだったんですけどね。この作品が意外に好評だったのは意外でしたよ。自分としてはこれは朗読に適さないのでないか――結末がないので――聞き手には楽しくないのでないかと不安だったんですが、でも、好評でうまくいきましたね。
――その理由は二つあると思うんですよ。「月あかり」はまだ聞き手がついて行けない。「夜見の巻」は独白で会話部分が少ない。でも「心象風景」になると会話の部分がかなり大きなウェイトを占めて、そこで蔀さんが自分の資質を前面に出してやられたのではないかと。そんな聴衆の反応もありましたよね。この頃開催形態についてもめたり、延期もしたし…でも、一つの山を越せましたね、「心象風景」で。あのとき新井先生が評価してくれたのは嬉しかったですね。あそこで勢いがついた。来ていた人も盛り上がりました。
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