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朗読者インタビュー

『マキノを音声で伝える快楽、聞く快楽』

蔀 英治さん
■マキノ作品を声で読むということ(2/5)

――さて、蔀さんが牧野を取り上げようと思った際に、他に検討した作家はいらっしゃいますか?


蔀:検討していたことに入るのかな? 宮澤賢治の文章とか面白いかなと…。たくさん取り上げられているのでいずれやるにしても、今やるのは… 

――賢治と牧野は全く同年生まれでして、賢治の朗読会は盛んに開かれている。でも、牧野もまた耳で聞ける作家だと再認識しました。その時代の文学者の言葉というのは、蔀さんにもうまくフィットするのですか? その際に、牧野の文章を読むにあたって一番障害になったこと、また面白く感じた部分とは何でしょう?

蔀:朗読する場合に、とぎれがない――一つの文章が長いんですよ、句読点が少なくて。それを聞いている人に理解してもらうというのが非常に大変かな、と。

――「吊籠と月光と」とか、きわめて長い括弧(会話文)とかありますよね。
蔀:そうですね。

――初めて聞いた人が理解できるかというと、そうはならないかな、と。ただ、読むなかで蔀さんはそういうところ――「吊籠と月光と」作中の「註」の部分など――をフォローされてましたね。
蔀:ええ。

――朗読で取り上げるのが、比較的昔の作家であるときに、蔀さんが読者にある程度要請するところと言うか、想定しているところはありますか? 一度は読んで来いよ、とか?

蔀:全く読んでない人にもわかるようにやらなければいけないのだろうな、とか。読んでいないのに自分が読んだように受けとめてもらえるのが一番嬉しいし、そうなるようにしなければと思っていますね。

――それなら牧野作品の連続朗読会は格好の材料では。宮澤賢治と違う一回性がある、どれも本邦初演でしょうし(笑い)。

――ここまで(第一回~第四回)の蔀さんの朗読は素晴らしいな、と思います。毎回、どれくらいの時間をかけて朗読に到るのでしょうか?

蔀:僕の場合、初見のときから最初から声に出して読んでしまいます。2回目くらいからそれぞれの出演者の心情というか、もろもろを探りながら。読んで行くに従って登場人物の内面というのがどんどん出てくるというか。まあ、そうしたらしめたものというか。作品全体が成立するというのはその後なんです。ただそれを聴いてもらった場合、どう聞こえるか、朗読会がどう成立するかを考えるのがその次の段階ですね。

――緩急とか強弱とかは?
蔀:それは最後ですね。発表というか完成というかの1週間くらい前ですね。


――全体像が掴めるようになってから? それから個々の情景へ?
蔀:そうですね。

――よく「牧野はいい作家だけど、なぜ今やるの?」といわれ続けてきたけれど、この朗読会の活動を通じてその答を半分以上提示できたのではないかなと。そんな気がしますね。短い作品だけれど快楽が詰まっているというか、快楽の質が違うというか…

蔀:一字一句が密度が濃いんですよね。それが読んでいて嬉しいんですよね。稽古をしていて、それが得をしているというか、嬉しいというか。


――「吊籠と月光と」の末尾で、英俗語の「スリップ・スロップ」(slip-slop)を「スリップス・ロップ」と取り違える場面の効果について)そういう仕掛けがある、ということですよね。一度では伝わらないかも知れないけど。子細に読んだつもりでもまだ発見があるというか。作品後半になって「吊籠」のルビがエレベータと振られているとか。定説(吊籠=つるべ、つりかご)となっているようなことについてもそういう発見ができている、ということがありました。

(第一回「月あかり」講演にて。2004年1月24日)



■マキノ作品を声で読むということ(2/5)
■第一回「月あかり」について(3/5)
■第二回「夜見の巻」~第三回「心象風景」(4/5)
■第四回「吊籠と月光と」(~第五回「ゼーロン」に向けて)(5/5)
 
 
 
 
 
 
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