蔀:「月あかり」(第一回)というのは、僕に選択を任された訳なんですが、ざっと眼を通したとき一番印象が強くて面白かったんですよね。これを読まずしてどうするか、と。まして全く読んだことのない人たちに聞いてもらうには好いんじゃないかと。喜んでもらえる作品かと。ある程度文章を読み慣れている人には面白かったと思うんですが、読み慣れてない人たちにとっては、牧野信一の言葉の使い方が難しいんじゃないですかね。「ぶくりん」とか仇名の土俗的なところとか、各人の個性であるとか、非常に面白いと思っていたところが、この作品は牧野が狂っていく過程のなかにある作品なのかなと、読み進めていくに従って僕の読みが変わってきたのですが。
――最初は仕掛けの面白さとか、登場人物と命名されている人物の(言葉の)造型に眼がいったけれど、最終的にはそういう内的崩壊の部分に眼がいってああいう読みになった、と。「月あかり」辺りから神経衰弱に陥るとされる牧野に(笑)
蔀:この作品が僕が牧野信一について朗読する最初の作品で、不安もありましたが期待の方が強かったんです。どういうことになるのかと。でも文章の面白さの方が優ってますね。
――「おかく」という存在が非常に甚大なる影響を投げかけているという構造、それが閉鎖的な部落の一面を描き出している位に最初は思っていましたが、実際には後半で「おかく」のかげが次第にせり出して、作品世界全体を包み込んでしまう、そういうことに蔀さんの朗読で気付かされました。
読書行為は電車のなか、寝る前など、断片的にやっても成り立つけれど、限られた時間の中で、他人の声によってひとまとまりに提示され作品全体を受けとめる朗読という経験--自分が読むより集中できるということもあるな、と思いました。牧野に限らず短篇の名手というのは、短ければ短いほどその作品が長く感じられるような密度があって、それはO・ヘンリーとかの朗読経験を通じて、蔀さんがそういうことに着目されていたのかなと…
(第一回「月あかり」講演後の懇親会で)
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