牧野信一『バラルダ物語』に描かれた山北の「お峰入り」

◇令和5年10月8日「お峰入り」記念公演◇

 神奈川県山北町共和地区に古くから伝わる民俗芸能『お峰入り』が全国各地の「風流踊」41件とともに2022年秋にユネスコ無形文化遺産に登録され、その記念公演がJR御殿場線山北駅にほど近い川村小学校グランドで開催された。
ずっと以前丹沢湖畔に仕事仲間とキャンプに訪れた際に食堂の掲げられた「お峰入りの道行き」の写真を見て、「バラルダ物語の世界そのものではないか!」と驚いた記憶がよみがえり、この地に明るい小児科医のS氏といっしょに川村小学校の公演を観覧させていただいた。

2023/10/8 川村小学校記念公演

 今回「お峰入り」演者衆の何とも軽妙にみえながら厳しく規律された肉体の動きを拝見して、牧野信一が実際にこの共和地区の民俗芸能を実際に見聞し、作品「バラルダ物語」のイメージの源泉としたに違いないという思いを深くした。「バラルダ物語」と「お峰入り」の関係について、研究者もあまり触れていないため、少し考えてみたい。

2023/10/8 「お峰入り・道行き」

◇昭和6年12月 牧野信一「バラルダ物語」発表◇

 牧野信一「バラルダ物語」は昭和6年12月中央公論に発表された「ギリシャ牧野」と称された中期の傑作短篇群の代表的作品で、今はなき福武文庫で刊行された牧野信一短篇集(柳沢孝子編)の書名にもなっている。
「バラルダ物語」には3つの祭りのイメージが混交しながら表れる。
「原始民族ガスコンの民が酒神サチュロスを祭る日に繰り出し山上の神殿をめざす仮面行列」「大太鼓を中心に練り歩く龍巻村の神輿行列」と並んで「おかめ、ひよつとこ、翁、鬚武者、狐、しほふき等々の唐松村の仮面劇連が辻々の振舞酒に烏頂天となつて、早くも神楽の振りごとの身振り面白く繰り込んで来る有様…」という具合に「お峰入り」のイメージが正確に導入されてくる。かつて丹沢湖畔の食堂に掲げられた1枚の写真を見て、筆者をして「バラルダだ!」と叫ばせたののもこの描写を想起したからだったろう。

「バラルダ物語」(福武文庫 1990年刊)

 しかしながら、山北町役場WEBサイト※1によれば、文久年間より残っている「お峰入り」の公演記録によれば、明治31(1898)年10月16日の伝承公演以後中断し、その再開は昭和9年10月に「復活伝承」まで待たねばならない。 つまり明治29年生まれの牧野が「バラルダ物語」発表の昭和6年までにこの祭典を見聞することはできなかった、ということになる。  ※1山北町WEBサイト『山北のお峰入り』紹介ページ

 それなら牧野信一と「山北のお峰入り」とのいかなる接点のもとに小説「バラルダ物語」は描出されたのか?
 「もう一度山北を訪れてみなければ…」と筆者は独り言ちたのである。

(続く)