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神静民報2004年8月21日版「神静文芸」欄より


牧野信一のこと

近田 茂芳(著者)

 私が牧野信一の作品に親しんだのは、拙著『牧野信一の文学』の前書きにも書いたが、 牧野信一文学碑建立に関係した昭和五一年頃からである。それまでの私は青少年時代には 堀辰雄、戦後は太宰治、織田作之助などに熱中したが、縁があって小田原に在勤するうち、 尾崎一雄の『虫のいろいろ』や川崎長太郎の『抹香町』ものが話題になり、勤務地内の作家でもあり、関心があって両作家の作品もしっかりと鑑賞した。牧野文学については『ゼーロン』とか『村のストア派』など二、三の作品を読んではいたが"牧野は一読判然の作家ではない"と小林秀雄や中戸川吉二が云うようになかなか熱心な読者にはなれなかった。
 しかし、牧野の文学碑建立の発起人と云った手前もあり、少しは牧野の作品を知っておかなければ格好がつかないだろうと、遅まきながら講談社刊文学全集の牧野作品を読み始めた。すると、その中の『「悪」の同意語』の悪の同意語を調べる筋立てと、太宰治の『人間失格』の対義語遊びから罪と罰を対義語と見なす筋立てが類似していることに驚き、牧野文学に興味を抱いたのである。そればかりではなく太宰の『人間失格』が、牧野の『西部劇通信』や『吊籠と月光と』、『西瓜喰ふ人』などの構成や表現とも相似したところが見受けられた。太宰の『人間失格』と云えば日本文学の中でも傑作として知られている。その作品に牧野の作品からヒントを得たのではないか、と云ってもいいような箇所が見受けられたのである。
 云いかえれば、私が牧野の文学碑建立に関係したり、そのために『「悪」の同意語』を読んだりしなければ、これほど牧野文学にのめり込んだりすることにはならなかったろう、とも云えるのである。
 さらに、川端康成の『雪国』の冒頭部分の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなつた。」とある"夜の底"と云う表現が、牧野が『雪国』以前に書いた『痴想』には「少しばかりの庭木であるが、闇にかこまれたそれ等は薄黒く恰も海草の群のやうに静かな夜の底に軽やかに立ち並んで見えた。」と云った牧野独特の表現で描写されていることも知った。
 先人の偉業を真撃に受け継ぎ、そしてその成果を後人に遺すのは文学の常道でもある。河上徹太郎は『死んだ牧野信一』の中で「我々の良心は或る瞬間に何かの意味で牧野氏に負債を感じることがあるに違ひないのだ。自分に都合のいい所だけ資本を借りてそれで、仕事をし、後の責任は逃げてゐるといふ感じだ。」と云っているが、そんな先駆的で特異な作品を遺しながらも牧野は太宰や川端に比べると、残念ながら人気の点やファンの数ではとても及ばないのである。
 牧野の生誕百年の記念の年も同年生まれの宮澤賢治の生誕百年祭の賑々しい祭り騒ぎに比べ、牧野の方は文学展と講演会なども企画されたが、ささやかで地味なものであった。勿論それで牧野の作品の評価が云々されるものではないにしても、牧野に取り組んでいた私にしてはなんとも寂しい限りであった。
 川端にしろ太宰にしろ宮澤にしても、それまで多くの研究者らが参画して分担し、作者の思想や意識、作品の素材や構成、表現などを多角的に分析解明した読者にしては誠に重宝な研究書的な雑誌などが刊行されているが、牧野文学については雑誌の売り上げを懸念してか、そんな企画もなさそうで、単行本や文庫本にしても刊行された種類や冊数も多くはなく、紹介された作品もギリシア牧野ほか限られた作品ばかりで、牧野が「尊厳に過ぎて、犯し得ぬ貴重な言葉」と感じた日本語を逆手にとった外人娘との軽妙な会話などが見られる透逸な『タンタレスの春』『或る五月の朝の話』『南風譜』『舞踏会余話』『山男と男装の美女』など、牧野の多々あるユニークな作品まで読もうとすれば、読者にとっては牧野信一文学全集に頼らなければならない、と云った窮屈な事情でもあった。
 そんなことから私は牧野の生誕百年を機に、無謀にも単身独刀で牧野の宇宙志向の心象風景を描いた文学世界を徹底的に解明した資料編を遺そうと考えたのである。それからは腹を据え、そこまで書きためたメモを整理し、さらに牧野の文学全集や関係する内外の文学書や研究書を読み返して"ここに牧野信一あり"と『牧野信一の文学―その「人と作品」の資料的考察』を書き始めたのである。

(こんだ・しげよし 1926年、鎌倉市生まれ。元神静民報編集局長、 文芸同人誌『葉脈』、『風』、『文話』、『短編春秋』同人。 小説集『白い風景』(1992年、河出書房新社)。 鎌倉市岡本に在住。)

牧野信一の世界をここに具象化

金子 昌夫(文芸評論家)

 本書の眼目は、副題にこめられている。つまり、この上下二冊にわたる著者は、牧野信一の文学について、作家論、あるいは作品論を行うのではなく、"資料"を探索し、その意義に想いを及ぼそう、という独特な視点に立脚しているといってよい。
 それは長い年月にわたって、清新かつ堅実な小説を書いてきた、近田茂芳氏の、同じ作家としての、牧野信一に対する深い思い入れの結果だと思われる。それはひたすら牧野文学のあらゆる部分に対して関心を注ぎ、探究する行為として遂行されるのである。
 上・下二冊のうち、上巻は主として作品の舞台となった地域、登場人物と牧野家の人々とのかかわり、あるいは牧野信一自身の生涯のあらゆる部分についての追求、分析が精細になされている。成長の過程での勉学、趣味、性格の変化等、信一像のすべての部分に及ぶ。
 その中でもっとも興味をひくのは、馬や犬、狐、猪等の動物への深い関心であり、その中でも鳥はもとより、魚、とくに昆虫に対する傾倒ぶりは驚かされる。その成果が、彼の代表作「夜見の巻」「ベッカフ峰」等に結実しているのも、改めて納得させられるのである。さらに注目されるのは、作品の中にも小道具として登場する望遠鏡であり、鏡である。これらの物品を、用いることによって、牧野信一は、作家としての資質を特徴づけた"幻想"的作風を定着させたことを、近田氏は裏づけているのである。こういう着眼点は、まさしく評者の作家の視線によってこそ、成立することができたのである。
 この事実は、とくに下巻の内容で、いっそうはっきりする。つまりそこでは、具体的に牧野信一の作品世界に接触することで、その文学の根源を解明しているからである。
 彼の作品世界を形成している諧謔、幻想、情熱、羞恥等の内面を、作品を貫く夢や狂気、動揺する意識などの描写を引用することで、精細に解明していく。その具体性の確かさと、適切に紹介される作品の面白さは、牧野信一という作家は、このような多くの世界を持っていたのか、と改めて思わせられてしまうのである。その特質を、近田氏は次のような言葉で紹介してくれている。
 「牧野にとっては渦巻や螺旋運動などは文学的にも重要なテーマの一つであったようだ。竜巻村の名称についてもそんな哲学的な意味が込められているのではなかろうか」
 右の指摘によっても、牧野信一の文学がどのように底深いものであったかを、鮮明に知ることができるのである。
 この本書の特徴をさらに決定づけるのは、近田氏が牧野信一の文学は、その多くを谷崎潤一郎の世界に負っていると指摘していることである。具体的に処女作「爪」と谷崎作品の「悪魔」とを比較して、その近似性について分析しているが、そこに見られる人物描写や場面設定などを、例示されてみると、みずみずしい感性の一致点に、新鮮な感動を覚えてしまう。
 結果的に本書は、牧野信一の文学をめぐる資料を、あらゆる方面から収集することによって、たとえば評論家、研究者が多くの言葉を費やした以上の、牧野信一の世界を、ここに具象化したのである。それは現実をして語らせよ、とする近田茂芳という作家によってこそなしとげられたのである。

(かねこ・まさお 文芸評論家。1929年、茅ヶ崎市生まれ。 著書『出川方夫論』、『蒼穹と共生―立原正秋・山川方夫・開高健の文学』、 『牧野信一と小田原』、『小説の現実』など。茅ヶ崎市に在住。)

マキノ"迷"のための絶好の水先案内書

熊谷真理人

 とにかく大著である。上下二巻で千頁に迫る本書を思うにまかせて繰ってみる。すると各ページから、ヤグラ嶽、龍巻村、水車小屋、魚見櫓などのマキノワールド(牧野信一の作品世界)を構成する土地・風景が、次いで父母、親族、快活なアメリカ娘などの実在と非在の幕間を往還する登場人物達が、さらにさまざまな趣味嗜好を持ち、複雑な来歴を持つ牧野信一の分身達が、賑やかに立ち現われてくる。
 多年にわたり、当地で編集長として活躍された著者は次のように控えめに述べている。 「牧野の描いた世界は、牧野が己れの理念と感情にもとづいて確と描いた世界で、牧野がそう云う見方をしていたことは事実である。…(中略)…本稿ではそれが知的遊戯と見られるかも知れないが、作家と作品との関係から見た牧野の理念や感情や夢、そして、その舞台や登場人物や趣味趣向、さらに作品の中に表現された諸々の牧野の世界を見詰めようと思うだけである。」(上巻16-17P)
 しかし、本書の執筆過程は「思うだけである。」というような生半端なものではない、繊細で困難な作業であったはずだ。著者は全十八章、総数二〇〇以上もの項目を立てている。この項目に沿って、牧野信一の小説だけで※一九二篇の作品が横断的に踏査された。※著者。初期童話作品を含む。
 他ならぬ牧野信一だからこそ、著者の試みの意義は限りなく深い。例えば「作品の中の地名について」という章で、西相模地方の地理・地名に明るい著者は、詳細な検討を重ねたうえで「何を云わんや、やい!マキノ先生の思わせぶり、悪ふざけ、詐欺師…(中略)…とでも悪態つきたくなる程だが、どんな地名を付けるかは作者の自由で、考えて見れば地名や地形に疎い読者にとっては、一遍の物語として読む限りでは、何の不自由はないのである。」と半ば呆れながらも、そこに「牧野流のしたたかさを感じる」と述べている。(上巻99P)
 私も然り!と思うである。牧野信一の作品では、繰り返し事細かに語られる地理的配置や、事物や風習、人物の名や関係などが、他の作品では、いやその作中でさえも微妙に変化し定位することがない。作者が用意周到に委細を尽くして創造した"混沌と不分明"。 これこそ小田原で生まれ、小田原で死んだこの作家が一生を賭して追い求めた文学の稀有な特質であり面白さの源泉なのだと思う。
 「この草稿がほぼまとまって一息ついた頃」(平成十四年)に筑摩書房版牧野信一全集が刊行されたため、著者は完結にさらに多くの時間を費やされ、今日の刊行に至った。その結果、新しい全集に収録された最初期の作品を含め、創作活動の全時期を通じた"マキノワールドのガイドマップ"が読者に提示されたのである。
 中国語でいわゆる「ファン」を"迷"と言い表すが、我々愛読者は文字通りこのような牧野の作品世界への"迷"を生きることに喜びを見出す。この世界をさ迷うためには、通り一遍の観光ガイドでは役立たない。むしろ先人が踏み込み、そこで刻み込んだ迷いの記録こそが新たな発見の旅を導く。
 奇しくもアテネ・オリンピック開催の本年に"ギリシャ牧野"への良質な水先案内書を授けてくれた近田茂芳氏に心の底から感謝と敬意を表したい。

(『続・西部劇通信』編集人。)



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