全集第三巻-“マキノオブジェ“探検隊発足に向けて-
今年(2019年)のマキノ己(3月24日)にちなみ、縁ある方にエッセイをお願いし、本サイトに2本掲載した。その1篇を書いていただいたN氏が送ってくれたH大学卒業論文に目を通していて、氏の論文が考察している作品、「F村での春」「藪のほとり」「鶴がいた家」「村のストア派」「小川の流れ」「熱い風」が悉く筑摩書房版全集の「第三巻」に収録されていることに気づいた。
筑摩書房の全集は主に発表年代に沿って編集され、第三巻は「大正15年9月~昭和5年5月」となっている。大正時代は15年12月25日までなので、実質的に牧野信一が昭和時代の幕開けより発表した作品群が収録されているわけである。
実際に第三巻を読んでいくとこの時期の代表作と呼ぶべき「西瓜喰ふ人」(昭和2年2月『新潮』)、「鱗雲」(昭和2年3月『中央公論』)をはさんで上述したN氏の卒論考察対象の作品が並んでいる。その先頭の「F村での春」は解題で「大正16年1月『女性』」となっていて、大正天皇崩御前に印刷され世に出たことがわかる。
またこの巻の冒頭二番目に置かれている「素書」(素書とはハガキの事と作者は説明している)で牧野信一は自身と周囲の人々の震災体験について、おそらく初めてまとまった語りを始めている。
つまり全集第三巻は「昭和」改元以降数年間の作品群であり、同時に関東大震災(大正12年9月1日)から3年を経過した時期すなわち小田原を含む関東の「震災復興期」にあたる期間に生まれている作品群である。
こうした「時節」を念頭に置くと、この時期から牧野の作品中にさまざまな“オブジェ”が急に立ち現れ、主要人物の動向とは別個に作品において独特な存在感を帯びていることが気になってくる。以下に私見であるが出現する“マキノオブジェ”を列挙してみる。
「F村での春」(前掲)… 猛獣捕獲器
「藪のほとり」(昭和2年7月『新潮』)…翳扇(かざしおふぎ)・空堀とハンモック
「雪景色」(昭和2年9月『文藝春秋』)…池水抜き・牧野の描いた絵画
「鶴がいた家」(昭和2年7月『新潮』)…「長い柄のついた団扇のやうなもの」と丹頂鶴
「村のストア派」昭和3年6月『新潮』…遊園地・鳩時計とボンボン時計・プラネタリウム
…という具合である。これらは無論作品の「主題」ではないが、かといって単なる情景としての事物・風物でもない。
なぜこのような「モノども」が導入されたのか?
牧野ワールドのオブジェといえば、同時期の「鱗雲」の“百足凧”や”青野家の先代の肖像画“や、「吊籠と月光と」(昭和5年3月『新潮』)の”魚見櫓“などが代表格として思い浮かぶ。
私はかつて小田原に作品の痕跡を求め訪れた際は真っ先にこれらの資料を漁ったものだ。意外なことに小田原周辺の近代資料には“百足凧”も”魚見櫓“も直接見出せなかった。ただ最近インターネット上で、他の地域での下記のような「物証」が散見される。
“百足凧”(姫路・映像)
https://www.youtube.com/watch?v=LP4IIROB8Nk
“魚見櫓”(長崎 五島列島)
http://fukuejima.la.coocan.jp/hukue-zakkicho/Z50-goto-isan.html
とすると…「鶴がいた家」の作中に現れる、主人公の友人で旧家の後継ぎである大ちゃんが鶴を小屋の追い込むために使う「長い柄のついた団扇のやうなもの」もなかなかの逸物なのだ。
(以下抜粋)
夕方になると大ちゃんの祖父が長い柄のついた団扇のやうなものを持って、如何にも長閑な姿で鶴を追ゐ込んでゐたのが残っている。(P185)
樽野にあの名前(注:「柄の長い団扇のやうなもの」)が解れば自分の創作集の命題にしてもふさわしいと思ってゐた。(P197)
剥製の鶴の後ろに、床の間の隅に立てかけてある柄の長い団扇のやうなものを酷く愚かしげな眼差しで意味あり気に眺めていた。(了)(P204)
昭和の幕開けとともに牧野信一が繰り出した「オブジェ」の謎を2時代隔てた令和の初めにあらためて作品を読み解きつつ、詮索してみたい! と思いついてしまった次第なのだ。面白がってくれる仲間が現われると楽しいのだが…(2019年5月)
追記)2016年秋に小田原の方々と共催で『ゼーロンの蹄跡を追って-小田原~南足柄フィールドワーク』を行った。 “マキノオブジェ“探検隊を募るとともに、今年もどこかに繰り出したいと思う。乞ご期待!