生前の牧野信一を知るものと今後
牧野信一は私の父方の祖父の兄。私にとっては大叔父にあたる人。マキノ忌にあたり、エッセイを書いて欲しいと頼まれ、二つ返事で返しましたが、考えてみると何を書いていいのかと悩みました。牧野信一を良く知っておられる皆様とは違い、親族であるものの何も知らない。作品も最近読み始めた全くの信一初心者です。
牧野信一の弟である牧野英二の息子が私の父、牧野定雄です。いくつかの作品にも名前が出ているので名前をご存知の方もおられるのではないでしょうか。現時点で、生前の牧野信一の姿を知っている唯一の人物。そこで、牧野の親族として、信一初心者の私に出来ること、知りうることをお話ししたいと思います。
私が子供の頃に牧野信一が文学者だったと聞いて知ってはいました。ただ、周りにいる親族は牧野信一について語ることもなく、興味のないまま大人になりました。
私が牧野信一に興味を持ったのは、今から5年ほど前に私の住む町の老人介護施設に牧野英子さんが入所してきたことがきっかけでした。牧野英子さんは、画家である牧野邦夫さんのお姉様です。当時、静岡に住んでいた父に代わりに見舞いに行ってほしいと頼まれ会いに行きました。自宅から近いこともあり、時々おしゃべりをしに伺っていました。英子さんは90歳を過ぎており、足腰が少し弱くなっていただけで、頭はしっかり、とてもおしゃれで可愛いおばあちゃん。私が幼少のころに、英子さんが営む洋裁学校へ何度か伺った記憶もあり、その頃の話や父、定雄の話、牧野信一の話など、いつも話題が尽きることはありませんでした。英子さんも、父と同じように生前の信一を知っている人物で、信一の話を度々してくれました。
目白に住んでいた頃、信一が英雄くんを連れて良く訪ねて来てくれた話。暁星中学に入学し、制服姿を見せに来てくれた英雄くん。「わ、すごい、よく似合っているワ」と行った時に、フフフ・・・と、笑顔になった英雄くん。その時の笑顔は今でもよく覚えてるのよ、と話してくれました。その後、戦争で亡くなったと聞いた時は涙が止まらなかったそうです。英雄くんも、私と同じ「英」という文字が付いているのよ、と。牧野信一の文学にも、牧野家には代々「英」という文字が付いているのだけれど、自分にはついていないとありましたね。
東京が空襲で壊滅した時には、信一の弟、牧野英二が小田原の家で一緒に住もうと言ってくれて本当に助かったと。小田原で祖父英二や私の父や親せき達、そして「牧野信一像(牧雅雄作)も一緒に賑やかに暮らしていた時代があったとのこと。英子さん曰く、信一はとてもハンサムで穏やかで優しく、時々、海に連れて行ってくれたりしたそうです。密かに好きだったのよ、などと。
英子さんは残念ながら3年前に他界し、もう信一の話を聞くことができないので、今思えば、もっともっと話を聞いておけばよかったと悔やまれます。
牧野信一が亡くなった昭和11年3月24日。縊死した現場にいた父。今までその話は聞いたことがなかったのですが、先日、その時のことを覚えているかと尋ねたら覚えている、と。信一の亡くなっていた時の姿はおぼろげながら脳裏に残っていると言っていました。その時、信一の母であるエイさんと一緒に現場いたが、エイさんがどうだったという記憶は全くなく、ただ、信一の姿に衝撃を受けたのは間違いないそうです。「サクラの花びら」にも当時の話が書かれていますが、通夜葬儀の記憶は全くないそうです。当時の父は2月に3歳になったばかり。エイさんと散歩に出かけるまで側にいたはずの信一が首をつっていた。そのショッキングな場面は幼い子の記憶に残ってしまったのでしょう。
信一が亡くなってからも、英雄くんは母である節子に連れられて小田原へ来ることはあったが、一緒に住むことは一度もなかったといいます。英雄くんはタップダンスが上手で、よく教えてくれたそうです。
家族はいたけれどどこかで孤独を感じていた信一。「サクラの花びら」を読むと、信一の人柄や性格がわかるような気がします。私は子供のころに両親が離婚し、母に育てられました。片親故、家庭の暖かさや家族のきずなというものは全くと言っていいほど知らずに大人になりました。だからか、信一の気持ちがなんとなくわかるような気がします。今ここに信一がいるのならば、話し相手になり、心を開き、あんな風な人生の終わり方はさせなかった、と。
今、親族である私が信一に対してできること。それはもっと世の中の人に信一を知ってもらうこと。微力ではありますが、少しでもそのお役にたてればと思っております。牧野信一初心者であるが故、何ができるかわかりませんが、今後、牧野の血を分けた者なりのお手伝いができればと思っております。
MAY
牧野信一弟・英二の孫。神奈川県小田原市出身。
結婚後各地を転々とする転勤族に。
8年前に神奈川県に戻り、現在は夫、娘、息子、猫2匹と生活。
神奈川に戻ったのを機に牧野との交流深め、現在に至る。
子供たちの成人を機に、フリーのライター初心者として時々執筆中。