石井富之助著・石井敬士編集・校訂 「小田原叢談」刊行に寄せて

 小田原市立図書館長として昭和9年から昭和44年退官されるまで永きにわたって小田原の図書館に貢献された石井富之助さんの遺稿「小田原叢談」が、この度ご子息石井敬士さんの編集・校訂により三月、夢工房より刊行された。本書の「まえがき」で石井敬士さんは次のように記されている。(以下引用)
-父石井富之助が亡くなって二十四年が過ぎてしまいました。生前父は蔵書を図書館に寄贈し(青蛙文庫)、自宅にほとんど資料がありません。一方、館長時代から書きためた原稿がかなり残っています。小田原にかんするものがほとんどです。小田原の人びとにとってももう忘れ去られたような事柄が相当含まれています。そこで、それらの中から、生前故人が「小田原叢談」としてまとめた原稿を出版することとしました。新聞・雑誌などに発表したものを含めて、昭和52年にまとめたものです。小田原の明治以降の町のようすや歴史・文化・遊び・年中行事などがしろうと史話として書かれています。内容は父の幼少期からの見聞や体験、図書館時代に収集した資料の中から、あるいは郷土の方々から伺った貴重なお話などさまざまです。-(以下略)
 以上「まえがき」で記されてるとおりの内容で本文は第一章史話・小田原風景、第二章文学・芸能・遊び、第三章年中行事・その他で構成されて、それぞれに秘話が綴られている。発刊された御著書を戴き私が真っ先に読んだ章は第二章で(文学・芸能・遊び)「川崎長太郎さんの抹香町」や『落語「抜け雀」』・「小田原・箱根の唱歌」など一気に読ませて戴いた。私自身の川崎長太郎さんとの出会いや、わがまま言って新刊本にサインを戴いた際のやりとりなど思い出し親しみをさらに強くした。又落語「抜け雀」は平成時代に入ってから落語ブームに乗って「小田原の落語を楽しむ会」があってもいいじゃないかとゆう石井富之助さんの昔の発想を思い出し当時の小田原図書館長川添さんや小田原ペンクラブの倉持さん、小田原文芸愛好会の播摩さんや、こゆるぎ座の関口さんなどと企画してオリオン座で平成4年3月開催し古今亭志ん朝の「抜け雀」を楽しんだものです。「小田原・箱根の唱歌」項では「鉄道唱歌」・「箱根八里」・「きんたろう」「二宮金次郎」に関する唱歌がこんなにもあるのかと数多くの唱歌が収集されていて驚きを感じた。
 話は道をそれるが石井富之助さんの他の著書「小田原と文学」の福田正夫篇によると福田正夫は昭和五年頃当時の「小田原保勝会」の要請により「小田原節」と「足柄小唄」を作詞して、さらに昭和八年には「小田原振興会」によって「小田原音頭」・「浜千鳥」を作詞していると記述されているが、最近発売された辻田真佐憲著「小関裕而の昭和史」によると昭和12年にNHKが始めた、国民歌謡に福田正夫作詞、小関裕而作曲「愛国の花」が大ヒットしたと書いてある。作曲者は今放映中のNHK朝ドラマ「エール」の主人公小関裕而で、歌手は渡邊はま子であった。
 一部分を読みかじった程度で恐縮だが、本書を読み進むと読者それぞれがこの地に生きた人々の話や一羽が飛び出してきてとても楽しく読める貴重な一冊ですので是非ご一読をおすすめしたい。終わりに本書を編集・校訂され長年の重責を果たされた石井敬士さんの労苦にねぎらいと感謝の念をささげたいと思います。
 余談だがこの稿の依頼をいただいたのは5月16日の事でこの日は小田原の生んだ、近代文学の父と謂われる「北村透谷」の命日で没後100年を記念して始まった第26回「透谷祭」の当日であるが、本年は新型コロナウイルス感染の影響で中止となった。私は午前10時に透谷の眠る城山の髙長寺に墓参し、折しも小田原市長選の選挙運動最終日の最中であった。

「神静民報」令和2年6月6日版『神静文芸』より再掲

 小泉政治(こいずみ・まさじ)
 1937年、秦野市生まれ。県立小田原城東高校卒業。小田原の八小堂書店に53年入社。99年社長就任。2004年同社閉店に付き退社。
 現在、西さがみ文化フォーラム事務局長。