資料紹介
牧野信一「日本橋」その他
柳沢 孝子
牧野信一には、生前の創作集が四册あり、没後に全集二種類が編まれている。第一書房版『牧野信一全集』(昭12・3、5、7)は、宇野浩二がほとんど一人で編集したものと言われるが、精密な解題は付されていない。人文書院版『牧野信一全集』(昭37・3、5、9)では、収録作品数もはるかに多く、初出誌調査等も綿密に行われている上、再版(昭50)にはかなりの増補もなされており、牧野信一研究の基本となる誠にありがたい全集だが、それでも時々、未収録作品を見つけることもある。
以下に翻刻した牧野信一の作品は、雑誌等に掲載されたまま、全集その他に未収録のものである。牧野研究上いろいろな点で意味があるのではないかと思われる四編を、ここでは選んで翻刻してみた。その際、漢字は新字体に改めたが、仮名遣いは原文どおり。原則として、ルビは読み方に揺れがあるものだけを残し、誤記・誤植は明かな誤植と判断される場合のみ(ママ)を付した。
「日本橋」は、諸家による「東京新風景」のシリーズの一つとして、「時事新報」夕刊(昭6・2・21、22、24~28、3・1)に八回連載された小説である。実はこの小説の存在は、以前から一部には知られていた。ただし「時事新報」となると、現在ではマイクロフィルムに頼ることになってしまうが、最終回にあたる紙面がマイクロフィルムでは半分近く破れており、どうすることもできなかった。「時事新報」の現物をたまたま眼にすることができたため、ようやく翻刻が可能になった次第である。掲載は一回分が一章ずつ。本文はパラルビ。
「予の恋愛観及び世相に現はれた恋愛問題批判」(「新小説」大12・6)はアンケートだが、雑誌「随筆」で中戸川吉二と密接に交流する以前の、牧野の中戸川への関心が見られて興味深い。ただし、題名はアンケートの総題。本文パラルビ。
「鎧の挿話」(「週刊朝日」昭5・10・26)は、コント風の小品。本文パラルビ。鎧の着想からは、後の小説「鬼の門」(昭7)等が連想される。
「僕の酒」(「モダン日本」昭9・1)は、諸家による「僕の~」という題名を持つ随筆の一つ。前年度末に五反田霞荘に転居したころから、神経衰弱の傾向が認められるようになっていたらしいが、その雰囲気も幾分感じられるようだ。本文は総ルビ。
これらの他にも、初出誌が判明した作品や、全集での題名に疑問のあるもの、掲載月の誤りなど、いくつか見つかってはいる。数例を挙げると、第一書房版全集に収録され、人文書院版全集で初出未詳とされている随筆「物草」は「祖母の教訓」(「読売新聞」大13・2・12)と全く同文。生前単行本未収録のため、「物草」という題名の由来は不明であり、もしかすると、第一書房版全集を作った宇野浩二の命名であるのかもしれない。小説「晩春の健康」(「週刊朝日」大14・8・2)は両全集とも未収録だが、同人誌「十三人」(大10・12)に掲載された小説「砂浜」の改作。創作集『西部劇通信』に収録された初出未詳の小説「出発」の前半部(A)は「哄笑の森」(「文芸春秋(臨時増刊)オール読物号」昭5・7)、後半部(B)は「昨日と今日の挿話」(「報知新聞」昭5・3・27)である。