●文科 第壹輯 第貳輯  第参輯  第四輯   ●牧野信一と「文科」-柳沢孝子-
●幻の「5号」と牧野信一「心象風景」未刊原稿 ●春陽堂と「文科」編集者難波卓爾
小林秀雄(こばやしひでお)   1902-1983
  《文科当時(1931)の年齢》 29歳   
  《文科掲載作品》 ユレカ(ポオ)(共訳:牧野信一と)(第2輯~第3輯)
1929年 9月 様々なる意匠(改造)
  12月 志賀直哉(思想)
1930 4-8月 「アシルと亀の子(・-・)」
(文芸春秋)
  11月 「横光利一」(文芸春秋)
  12月 「物質への情熱」(文芸春秋)
1931 1月 マルクスの悟達(文藝春秋)
  1月 文芸批評の科学性に関する論争
(新潮)
  11月 おふえりあ遺文(改造)
1932 6月 現代文学の不安(改造)
  9月 Xへの手紙(中央公論)
小林秀雄と牧野信一
 文科第2輯および第3輯の目次で、ひときわ目に付く『「ユレカ(ポオ)」牧野信一・小林秀雄訳』という題字。小林-マキノ-E・A・ポーという三角形は何とも座りの悪い感じのするものである。しかし、この時期の小林-マキノの相互言及は、その接近ぶりを表している。牧野信一の「吊籠と月光と」「鱗雲」の2作を中心に展開された小林の「※アシルと亀の子3」(文芸春秋、1930年5月)は彼の初期評論中でもひときわ異彩を放ち、それに呼応するように牧野は「小林秀雄氏への手紙」(作品、1930年5月)の中で、『…「この次には、こんなのではない、もっと別なのを書く、書いたら見せるぞ。」と君は、あの時云った。…』というふうに評論家小林秀雄ではなく「小説家」小林秀雄を待望してみせる。
 そのような状況下で、「文科」への小林秀雄のコミットメントが行われた。だが、第4輯には「ユレカ」第3回目は掲載されず、このセッションは文科とともに中断されたままとなる。以後、小林秀雄のマキノへの言及はほとんど見られない。
小林秀雄を知る
ブックガイド
  岩波文庫 「小林秀雄初期文芸評論集」
※岩波文庫に所収された「アシルと亀の子」は、初出の「作品」のものから、重要な部分の改稿が目立つ。興味のある人は読み比べてみると面白い。