1931年 |
1月 木枯の酒倉から(言葉) |
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6月 風博士(青い馬) |
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7月 黒谷村(青い馬) |
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9月 海の霧(文藝春秋) |
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10月 霓博士の廃頽(作品) |
1932 |
2月 蝉(文藝春秋) |
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4月 群集の人(若草) |
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9月 Pierre Philosophale(文学) |
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10月 村のひと騒ぎ(三田文学) |
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坂口安吾と牧野信一 |
文科創刊の年、1931年に作家坂口安吾は、その驚異的な創作力をもって突如姿を現す。
同年6月「青い馬」に坂口が「風博士」を発表すると、マキノは同名のエッセイ「風博士」(文藝春秋『別冊文壇ユウモア』1931年7月)でこれを絶賛し、すぐさま「文科」の同人に坂口が加わる。「竹薮の家」の執筆は、文科4輯をマキノの「心象風景」とともに並走する。
坂口は牧野信一と10歳ちがいで、文科の同人中でも最年少であったが、マキノとの親交は深く、その自殺に際して書かれた「牧野さんの死」は、近傍にいた者だけが語りうる生々しい証言であるとともに、人間存在を直視する安吾の文学的姿勢が貫徹されている。
その後安吾は、小田原に移り住んだ時期に開戦を迎え、戦後の混乱期にいち早く精力的な再出発を遂げる。この時期(1947年、「光」)にマキノを題材にした「オモチャ箱」を発表。多くの評者はマキノ的文学観の否定と読み、戦後の牧野文学への黙殺の一因にもなったと思われる。しかし、その終結部の叫びともうめきとも付かぬ文章の表すものはそれだけなのであろうか?
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